〜創立60周年〜
■総合トップ ・中村宏之氏による教育講演会記録
(H23.12.19)
・香田誉士史氏による教育講演会記録
(H23.11.12)

香田誉士史氏教育講演 記録


目 的 夢を抱くことの大切さを、当事者による講演を通じ、聞いた人全員が元気になり、 将来の人生設計の役に立てる。
日 時 平成23年11月12日(土) 13:30から15:00
会 場 北海道知内高等学校体育館
主 催 北海道知内高等学校
後 援 知内町教育委員会
対 象 本校生徒
講 師 元駒沢大学付属苫小牧高等学校硬式野球部監督 香 田 誉 士 史 氏
演 題 「夢をかなえるために」



・内容

  土曜日だというのに学校に出てもらって申し訳ないですが、私のせいにしないようにして下さい。「夢をかなえるために」となっています。私もまだ夢の途中で偉そうに言える立場ではありませんが、これからの君たちになにか伝えることができると思い来ました。昔は乱暴な言葉使いをしていましたが、この人数なら緊張しないで話せると思います。

  私は、大学の監督から北海道へ行けといわれ23歳で来ました。がばいばあちゃんの佐賀県出身で何もわからず、知り合いも一人もいない中で生活することになりました。水を落とすということやストーブをつけっぱなしで寝るということがまるでわからず、母親に電話してもわかってもらえなかったものです。小学校2年生から野球を始め、体が小さかったけれど負けず嫌いで?しひねくれたところのある子供でした。中2で父親を亡くし、やんちゃでけんかをしたこともあります。その噂もあったのか、誰でも受かるはずの佐賀商業高校の推薦を落ちまして、一般受験で合格し甲子園にも3度行きホームランも打ちました。駒沢大学でも4年間野球をやり二度の日本一を経験しました。高校では社会科を教え、担任をやり、野球部監督をやる普通の教員でした。はじめは弱くて一回戦をコールド負けするようなチームでした。悔しくて何とか見返してやろうとして頑張りました。選手を求めて本州に行っても駒大岩見沢と違うことを説明することが必要なほどです。悔しさと屈辱の13年でした。勤めて2年後に私は市内のライオンズクラブの会合で話すことになり、甲子園優勝しますと宣言しました。私はできると思ったし、今までもできてきてどうやって実現するかだけです。そして優勝の時の監督は私ですとも言いました。そのころは、15点取られたり、コールド負け続き悔しさを生徒にぶつけ自分の考え方を押しつけでばかりでした。生徒からボイコットされたり、自分の言うことだけが正しいと思っているともいわれました。選手と背中合わせのようになり、友人や心を許せる人もいなく職員室の先生方とも年が離れていて、家に帰ればカマドウマが迎え佐賀に帰りたいと思ったものです。強くなって有名になり、香田の元で野球がやりたいといわれたいという思いでやってきました。野球部は部長先生はいましたが、グランドでは自分一人です。自分で生徒を追い込み、自分でフォローするという毎日でしたが、今考えるとそれが良かったと思います。13年後に大監督といわれましたが、そのときのつらい思い出があるためちやほやされても動じない気持ちになることができました。7年目で甲子園出場を果たしましたが、はじめはお客さん扱いで、選手待機場所で苫小牧の子は端っこで小さくなっていました。中央付近の有名私立高校生は態度も悪くだらだらしていたのを見たり、ベンチで選手に片付けの指示をしていたら、高野連の人から「おまえがやれ」といわれたこともあり、腹の中で「見返してやる」と思い続けました。また、8対1で勝っていた試合が4回雨天中止なり、再試合で2対5で負けたときには、職員室の手紙の山の中になんで8点も取ったんだと書かれました。2,3点なら7回までいけばコールドにならなかったという理不尽なことまで言われるわけです。その翌年優勝し、連続優勝、そして田中将大を率いて準優勝したわけです。13年たって甲子園出場で高校野球から離れました。しかしその中でも失敗や不祥事もありフライデーや週刊誌にたたかれ、正直に言うと心が折れそうになりました。
私はプロ野球選手の小久保、新庄、元木、前田などと同期で、レベルの違いにプロ野球選手になるのはあきらめましたが、いずれ指導者としてプロになることは夢見ています。また高校野球に戻ることがあれば当時の自分を超えることが夢です。今の鶴見大学で4年目ですが、はじめは駒大苫小牧と同じで弱い、だらしない、監督の指示を聞かない集団でした。野球部予算は年間5万円です。今年ようやくリーグ2位となり、有名私立大に勝ちました。でも球場には客はいません。  私は、優勝しても自分に不足していることばかりだと思うし、勝つ監督が素晴らしいわけではないと思っています。指導者という言葉は重いと思います。優勝したときは110以上の部員がいましたが、その全員に対しての指導者ではなかったと思います。挨拶の後、二言かけることすらできませんでした。しかし、そのときの子供たちに向き合い、腹の中を出し合うことしかありません。評論家になって「今の子供たちは」などといっても何にもなりません。いつの時代も子供は素直です。高校生と大学生は違いますが、10のことを聞いてやり、1か2を返すくらいでちょうどいい。聞きっぱなしもいうばかりでも心は開きません。優勝したときでも子供の一人が「あなたが監督を辞めるべきです」といわれたことがありショックでした。しかし互いに腹を割って話を聞き2時間ほどたったでしょうか、すっきりした様子で終わりました。どうやって心を開かせるか、心のつながりは打線のつながりです。野球技術を教えることやサインを出すのはたいしたことではなく普段の采配が土壇場で期待に応えることにつながります。私のミスを選手が助けてくれます。夢は一人で成し遂げられません。まだ私は野球のルールですらわからないこともあり、自分の世界は狭く、甘いと思っています。まだまだ向上心があり、やりたいことだらけです。今40歳ですが、同年代の人と比べ若くありたいし毎日1時間走り、夢のイメージを持ち続けています。「ああなりたい、こうなりたい」ということを疑わないことこそ大切だと思います。できないかも知れないと思うとそこまでです。  皆さんに伝えたいことがあります。それは感性を磨くことです。ものを見てきれいだなあと思うこと、日頃から感じる心を育ててください。そして夢を持つことです。
質問に答えて
  人の上に立つためには、心をつかむこと。ぼろぼろになっても正面からぶつかることで、理解の上に指導ができます。「君のそういう姿を見たくない」というような言葉の使い方も大切で「あの人に言われたら仕方がない」と思われるようになってください。





Copyright(C)-Hokkaido Shiriuchi High School- All rights Reserved.